アウシュビッツ・ビルケナウ


2007.05〜06





アウシュビッツへ




アウシュビッツへはクラクフから電車・バスで約2時間。俺は電車を選択。
バスは低床型で無いので乗り降りの際に、車椅子から降りなければならないので、
それが面倒だったから電車にした。
※アウシュビッツ〜クラクフ間の電車は一部分低床型あり。

オシフィエンチム行きの電車 最寄のオシフィエンチム駅

オシフィエンチム駅の車椅子トイレ


オシフィエンチム駅からアウシュビッツ収容所までは約2kmくらい。
タクシーが数台駅前に留っていたが、観光地でぼられたりする可能性が高いし、
雨も降っていなかったので車椅子で歩くことに。

途中にあった団地


この日は気温もちょうどよくすいすい車椅子は進んでいく。
途中に道に迷っている女性2人を見つける。
話をすると彼女達もアウシュビッツへ行くらしい。
俺も一人で行動するのも面白くないので一緒に同行しようと誘った。

途中にあった団地


彼女達はイタリア人姉妹のマリオリーザ(右姉)とチェレスタ(左妹)。
姉妹で仲良く中欧を旅行しているらしい。マリオリーザはボローニャ、チェレスタはミラノに住んでいる。
以前、イタリアを訪問したときはミラノでひたっくりに出遭ったり、
ローマでは法王の死で観光もできなかったりと散々だった。
次回イタリア訪問時は彼女達に見所・おいしい店を教えてもらうつもりだ。



悲しい過去を・・


アウシュビッツ・・・
約60年前の第二次世界大戦中、当時のナチスドイツが
ポーランドの政治犯を収容するため、作られた強制収容所。
ユダヤ人のほかに、ソ連人、オーストリア人、チェコ人など捕らえられて、
アウシュビッツ収容所に連行され、約150万人という尊い命が失われた。

強制連行された人々は、働くことができるかできないかで選別され、
働けない者(特に老人・妊婦・子供・障害者など)は即座にガス室へ送られ虐殺された。
死んだ後に処理される髪の毛は布団へ、金歯加工されて金の延べ棒にされた。
働けると選んだ者は、荷物を取り上げられ、髪を刈られ、食事はコーヒーと腐った野菜のスープだけで
強制労働を強用された。
少しでも反抗すると、銃殺・絞首刑・または人体実験などに利用された。

ここの収容所の他に十数か所の収容所で同じことが行われていた。
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所はその象徴である。



アウシュビッツ収容所


ARBEIT MACHT FREI
『働けば自由になる』

外回りの有刺鉄線
ここには電流が流されていた。

収容所内部

集団絞首刑台

多くの人が銃殺された『死の壁』

ガス室
多くの人がだまれさて入れられた。
『体を消毒するため』と

ガス室の内部
『チクロンB』で毒殺された。

焼却所
遺体をここで焼いていた。ガス室





ビルケナウ収容所


以前、ドラマの『白い巨塔』で、財前五郎(唐沢寿明)がポーランドで行われた学会のついでに、
訪れたところがビルケナウだった。


ビルケナウはアウシュビッツの数倍の広さの収容所。
敗戦がほぼ決まった当時のドイツは、大量虐殺の罪を問われるのを恐れ、
証拠隠滅したと言われる。そのせいでビルケナウ内部にもので、当時のまま、
残されているものは少ない。

収容所に引き込む貨物列車の線路

監視塔
脱走を試みる収容者を監視する。

収容者の寝室跡
ここに多くの収容者が詰め込まれていた。

連れてこられた収容者の写真


見学途中に突如雷を伴う夕立が強く降り出した。
これではまともに見学もできないので、ただちにオシフィエンチム駅へ向かう。
歩いていくにはかなり距離があるために、タクシーを拾う(約500円)
有名な観光地のためにタクシーは常に数台客待ちしてある。


それとアウシュビッツとビルケナウ間は歩いても行けるが、3kmほど距離がある。
歩くよりは巡回バスを利用するべし。巡回バスは無料でノンステップである。

アウシュビッツ〜ビルケナウ間の巡回バス